寒中お見舞い申し上げます

寒中お見舞い申し上げます

 

お久しぶりです。この日記の存在を知る人は少ないだろう。でもそれでいい。

自然と見たくて見てくれる人がいたら、それはギフトでとても嬉しい出来事だ。

 

三ヶ月前くらいに転職して、今までの自分の甘さが祟ってすごくてんやわんやでした(今も)

前まではお弁当を作っていたけど、今はほっとできる時間を買いに毎日珈琲屋さんに通いつめてます(笑)

でもまた少し本を読むようになり、休憩時間が出社前から待ち遠しいです。自分に戻れる時間です。

 

そして過去の銀色夏生のつれづれノートをつれづれ読むようになり、心にひっかかった部分が

ひっかかったままだったのでまた読み直してその部分を必死に探しました。

 

どうしてもそれを書きたくて久しぶりに投稿します。

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自由さは人を自由にする〜つれづれノート22〜 銀色夏生 

 

P190・4/21)

今日は静かな一日。

 

私はどんな人が好きなのかと考えたら、自分の意思で一歩、踏み出せる人が好きなんだと思った。

本当にしたいことに対して、その時、躊躇なく。

それができるのは、したいことがあり、それは何かということを自覚している、ということだ。

 

本当にしたいことのために、その時、躊躇なく。

 

躊躇なく踏み出すその時の心境は、たぶん、日常とは違う次元にある。

まわりになにもない景色だと思う。

踏み出すという行為は、自分の心の中の世界から、第三者の目に見えるところに出ること。

 

意思を示す。

誰も見ていなくても、声に出さなくても、それは世の中に意思を示すこと。

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私が心にひっかかって「どうしてもこれは書き留めなくては!」と思ったのでは

 

この部分↓

踏み出すという行為は、自分の心の中の世界から、第三者の目に見えるところに出ること。』

 

この部分はすごく自分に言ってほしかった言葉だったんだと思う。

私は自分の声とことばを使って、世界と繋がりたい。

歌ってる事に対してまわりに「趣味があっていいね」と言われる事に対してすごく反発心を持つから。

でも他人には趣味としか映らないんだろうなとそこで反省する。

今の私は全くおっしゃる通りです、、という心境。

 

本当に甘すぎる所存にございます。第三者の見えるところにいきたい。

冷静と情熱の間で粛々と。折角の新年という節目をありがたくいいきっかけにスタートしよう。